こんにちは、さくらです。
今日は、7年前に私が感じたことについて、書きたいと思います。
周囲を見回すと「あ~、あのころの私!」と思うことが、最近よくあるので、何かのきっかけになるといいな…と思っています。
私は、2歳の次女を連れて、近所の幼稚園に見学に行きました。
当時、第1子がすでに他の幼稚園に入園しており、下の子も同じ所を希望していました。たまたまその園で、プレ年少のクラスがあり、他の園を見る機会だから、と足を運んだのでした。
お天気の良いその日。
園庭で遊んでいる園児の見学をぜひ、と勧められて、手入れされたとは言い難い草木に囲まれた土の園庭に向かいました。
広場で走り回っている子ども達を過ぎ、何やら真剣に遊んでいる一角へと進みました。
その時、違和感を感じたのです。子ども達が騒がしくないのです。
子ども達は、真剣に、さも大切そうに、瞳をキラキラ輝かせながら…
摘んだお花をちぎって、陶器の鉢にいれ、陶器のすりこぎで、
夢中につぶしているのです。
その瞬間、私自身がン十年前に、庭や公園で、花びらの色水を作っていた光景が、頭の中いっぱいに浮かんで来たのです。
花びらから、ピンクの液が染み出す感触。
それを大事にビンに入れたり、ままごとに使ったりした記憶。
すると、どんどん記憶が呼び覚まされて来ました。
葉っぱで作った色水、
蛙のたまごを手ですくった感触、
昆虫ケースの半分までバッタを埋め尽くしたこと、
珍しい虫を手に隠して学校まで持って行ったり、
泥を掘り起こして、水を混ぜてセメントごっこ、
雑草の花束でお花屋さんごっこ、
つつじの蜜を吸って歩く、
とにかく毎日がエンターテイメント!「ぐっちゃぐちゃ!」
形のある物より、創造できる遊びに、心を躍らせていた事を思い出したのです。
不思議なことに、その時「思い出した」感覚を、7年たった今、なお明確に振り返る事ができるのです。
たぶんその頃、母親1年生として、奮闘していた生活の中で、
「いかにも子どもが居る、家の居間。」など、「子育てを象徴する」ものを、
「きれいにして」おきたかった、そんな時期だったゆえの、衝撃だったのでしょう。
子ども連れの友達がまだ少なかったことや、直前までオシャレな会社で働いていたという
無意識下の自意識があったのかもしれません。
花の色水を作る、子ども達の真剣な顔が、私に語りかけたこと、
「何に、こだわっているの?」
完成された美しい玩具に囲まれた子ども部屋や、ガラクタのない空間は、大人にとって心地が良いものです。
でも、「こだわっていたのは、何?」、自分に問いかけた時、
子どもが夢中になって遊ぶ物が見えてきました。
お菓子の箱、プリンのカップ、新聞紙、枯れ葉、小麦粉ねんど、砂や泥、ペットボトル、チラシ、密閉容器を入れた棚、ティッシュ、牛乳の箱、曲がるストロー、缶、セミの抜けがら、石などなど…
ちょっと想像してみると、
もし完成された(1つの遊び方しか、出来ないような物を指しています)玩具で遊び、
電子ゲームで遊んで育ち、知育カードで物を覚える、
それが子どもの発達に則した事なのかどうか…
私が、幼児のさくらちゃんなら、「もっと自由に遊びたいよー!」
と、訴えたくなるかもしれません。
「子どもは実体験の中で、動きながら学ぶ。」
モンテッソーリ教育の礎にもありました。
0 件のコメント:
コメントを投稿