こんにちは、さくらです。今日は、先日のmariさんの「傘の開閉」の回を読んで、思い出したことを2つ書いてみます。
☆その1☆
前に学校の先生から伺った話。
その先生が、歩道橋の狭い通路をすれ違う子ども達を見て、「最近は、傘かしげをしないなぁ。」とおっしゃったのです。
「傘かしげ」という言葉が、正確な日本語か否かは定かではありません。でも、その時に強く感じたのは、響きが素敵な言葉だな、ということでした。
その先生のおっしゃる意味によると、細い道ですれ違う時に、相手に傘の端が当たらないよう、また傘から落ちる雫がかからぬよう、すれ違う相手と反対側にすっと傘をかしげる動作なのだとか。
ああ、まるで映画のワンシーンのよう。と瞼の裏に想像をふくらませてみたのでした。
傘をかしげる、ただそれだけの動作なのに、自分だけでなく相手のことも考える、見知らぬ同士であっても思いやりを持つ、という美しい意味を持っていますね。
かたや、今日乗った電車の中で、隣座席の女性はコンパクト容器を振って、パフにフェースパウダーをたっぷり含ませて、お肌に叩き込むこと3分、その作業を繰り返して終わらないまま叩き込みながら、たくさんの人と接触しつつ、降車して行きました。
たかがパウダー、たかが雫。
でも、ほんの少しの「素敵なこと」が、自然にできるようになれたら、そして子ども達にも伝えられたら、と思っています。
☆その2☆
「子どもはできないのではなく、やり方を知らないだけ」
モンテッソーリ教育の活動では、子どもに活動の方法を「ゆっくりと正確に」提示します。私の子ども達が小さかった頃、私はこの考え方をまだ知りませんでした。
下の子が生まれて、上の子が2歳。出かける時と帰ってきた時、上の2歳児が、かならず玄関で10分くらい大泣きしてひっくり返って、手が付けられない状態になるのです。
靴が履けないのかな?と思って、手を貸してもダメ、口で教えてもダメ、手本を見せても(手早かったのでしょう)ダメ、気に入らないの?と靴を換えてもダメ。
初めは原因を探求するため、四苦八苦していた私ですが、あまりに毎回なので、泣き喚いていても、遂に無理に履かせるようになってしまいました。
もちろん事態は悪化です。気持ちを言葉で説明できない2歳児は、靴を脱いで投げるし、余計に暴れるし。悪循環の底に落ちていくようでした。
さて、今の私なら、どうしましょうか?
もちろん出かける時ではなく、下の子が寝た隙に、部屋の中の明るい場所(玄関が明るければ、それで良いのですが。)に、ビニールシートを敷いて、履きやすい靴を持ってきます。
そこで、スローなスローな動作で、動作と動作を区切って、丁寧に靴の履き方を見せます。
言葉を掛けてしまうと、気が散るので手元に集中させて。履かせたら、「ほら、上手に履けたね!自分でやってみる?」と聞いてみて、やりたそうだったら見守ります。
こんなふうに、10分間を有効に使えていたら、とモンテッソーリ教育を勉強始めてから切実に感じています。
そして現状は、敏感期をとっくに過ぎて、「やり方」を知っているのに、「やらない」子どもには、どうしたら良いのでしょう?というのが、私の観察テーマです。
では、今週も頑張っていきましょう!
さくら
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