さくらです。
木曜に飛び入り!ごめんなさい。忙しくて月曜の更新がなかなか出来ておりません。
今、また少し新たな資料と格闘(いや、勉強@@;)しており、素敵な発見をしてしまいました。
「子どもを全人格的に受容する。」
もう!そんなの当たり前じゃない!と思いながら、資料を読んでいると・・・・、親自身も、誰か愛する人に「すべて」を受容されたこと、あるかしら?と考えさせられました。「すべてを受容する。」 ※注意→これは悪い行動も、受け入れるという意味ではありません。
今日の私を振り返ってみると。
忘れ物してない?マフラーしたら?早くお風呂に入ってね!お野菜も食べようね!等々、まだまだあるぞ。
「?」やら「!」やら、「こうあって欲しい」という、私の考えで発言をしてることに気付きます。
(もちろん、これは、子どもの我儘を許し、何でも好きなようにさせるといった、「間違った自由を与えよ」とは、違う意味です。)
気をつけないと、親がこうして欲しい、こうあって欲しいというのが、マフラーや野菜、躾に関する事柄ならともかく、「医者になって欲しい」とか、「コンクールで入賞して欲しい」とか、「プロゴルファーになって欲しい」とか、ずんずん発展ということになりかねません。
それは、子どもの人格を受容しているだろうか。否。
愛情が→過保護になり→思いを押しつけて→子どもを導く、これでは子ども自身が「人生の主人公」にはなれません。
さてさて、私と一緒に、今日の発言を振り返って下さった読者の方。
ここが親として、本当に難しい部分です。躾や規律などの教えるべき事と、子どもの人生の脇役であり続ける事。
今日は、ちょっと主人公になり替わりそうだったな、と思ったら、子どもの寝顔につぶやいてみましょうか。
そして、また改めて、子どもの中にある成長力を信頼しましょう!
ママの中の成長力もね。
では!
さくら
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